<教育の目的>
皆さんは、公教育、義務教育とは何のためにあるとお考えすか?
たまにはこうした哲学的な問いを議会で話すことも大切であると考え、昨日はこの質問をしました。教育長の考えはまもなく動画がアップされるので、是非そちらでチェックしてみてください。僕は下記の3つ(社会化、成熟した市民、基礎学力)が重要であると考えます。
<1>Socialise (ソーシャライズ) 社会化する
「社会化とは、社会学の用語で、子供や、その社会の新規参入者が、その社会の
文化、特に価値と規範を身に付けることを指す。文化とは、文学・美術・音楽
などの精神的な活動のみならず、その社会が有する生活様式全般を指す」
つまり
社会生活に備える
集団生活を通して、実社会を学ぶ
落ち着きがなくて、じっと座ってられない子ども
人前で話すことが苦手な子ども
他人の目が気になって、教室に入って来れない子ども
こういった子どもたちが、集団生活を通して、実社会で「生きていくための力」を
身につける
インクルーシブ教育とかダイバーシティ教育とか、最近よく言われているが
学校に行けば「外国籍がある人」も「障害がある人」も「性的指向も違う人」
もいて、さまざまな違いがある中で学ぶ方が、実社会に近いということ
<2>「成熟した市民」を育成する
近年、僕が感じているのは「民主主義の劣化」
年々、下がり続ける「投票率」や「議員の質」の問題
ネットやSNSの浸透とともに、議論やコミュニケーションの形が変わり、政治が
人々の声により早く、強く反応するようになった。トランプ元大統領に象徴される
ように「仮想敵」を仕立てあげ、大胆な発信で大衆の注目を集めることで、知名度
を上げ、選挙に勝ってしまう
情報リテラシーの問題もある
コロナで社会が二つに分断されたように、新聞やテレビなどマスメディアの
ニュースの情報に流される層がいる一方で、匿名性の高いネットの情報に
安易に流される層もいる
ありふれた情報の中から、必要な情報を自分の頭で考え、取捨選択できる
クリティカル・シンキングのできる「成熟した市民」を育成することも、教育の
役割ではないか
クリティカル・シンキングとは、批判的思考
「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・
客観的に理解すること」
民主主義社会を健全に機能させるには、こうした「成熟した市民」の育成が必須
<3>必要最低限度の基礎学力を身につける
最近「得意分野を伸ばすことだけに特化すれば良い」という意見もあるようだが
二次方程式、英語の学習など必要最低限度の基礎学力は抑える
中学校三年生の時点では、どの方向にも進むことができるような可能性を作る
プロスポーツ選手だって、引退後の長い生活がある
料理人だって、美容師だって、英語がわかれば、働くチャンスが広がる
「私は大学を出ていないから、議員にはなれない」というような声を聞いたりする
が、それは違う
能力的には、義務教育レベルの読解力や図表を読み取る力といった必要最低限度の
基礎学力があれば十分、専門職でなければ中学卒業程度の基礎学力で結構いける
<あとは単なるやり方の問題>
1日の大半を学校で過ごすわけだから、できるだけ楽しくやった方がいい
幼少期にはできるだけ幸せな、幸福な時間をなるべく過ごすべき
(例)運動会の練習で整列をする
社会で生きていくために、整列ぐらい、学ばせることは大事
ただし、整列は自分の順番をきちんと守れる程度で十分
指の先まで「ピシッ」と整列させる必要がどこにあるのか?
そんなこと、軍隊に入る以外に、必要あるのか?
そこまできちんとやらせるのは、実社会で生きていくための必要性を通り越して、
子供から楽しさを奪い、やらされている感が強くなって、ネガティブな側面が
強くなってしまう
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